「昔から、ホンマは、心の中、男やってん。」
そう母に打ち明けたのは、大学1年生の時、19歳の誕生日を迎える3日前でした。

若林佑真

大学生となった18歳の春、バイト先が一緒だった同じトランスジェンダー男性の先輩との出会いをきっかけに、「自分もトランスジェンダーである」と、友人や周りの人たちに徐々にカミングアウトしていくようになりました。

しかし、言おう言おうと思いながらも、やはり家族には中々打ち明けることができず…。いよいよ、19歳の誕生日も目前という時に、「このままではいけない!」と、打ち明ける決心をしました。

しかし、問題は母です。母は、僕が高校3年生の時にクモ膜下出血で倒れ、下半身には麻痺が残り、「高次脳機能障害」を患いました。ヘルパーやデイサービスを利用しながら、家族交代で在宅介護をしたり、新しいことが覚えられなくなった為、僕がアルバイト中に何度も電話をかけてきて参ってしまった時期もありました。

そんな母に、僕がトランスジェンダーであると打ち明けたところで理解してもらえないのではないか、と悩んだ挙句、僕はその日、姉だけを部屋に呼び出しました。これまでのことやこれからの事を、恐る恐る姉に話し始めると、突然部屋の扉が開き、そこには母がいました。

「私にも、その話聞かせて」と。

その時、母は何かを感じ取っていたのかもしれません。麻痺が残る足で、リビングから壁をつたって部屋へやってきました。「これはもう、話すしかない」と、僕は「自分がトランスジェンダーであること」「これから男性として生きていきたいこと」を、姉と母に打ち明けました。

すると母は、「ええやんな~」と。「私は、あんたが別に男の子でも、嫌やないよ」と、言ってくれました。その時の母は、「病気が治ったのかも!」と思うほど意識がはっきりしていて、しっかりと僕の話を聞いてくれました。

しかし翌朝、僕が母に「昨日の話覚えてる?」と尋ねると、「え?何やったけ?」と。
「え!話したやん、身体のこととかさ」と言って返ってきた言葉は、「ごめん、忘れた」。僕の希望も虚しく、昨夜の出来事を母は何一つ覚えていませんでした。
でも、昨日のことは僕がちゃんと覚えているしまぁいいか、と、仕方ないを言い訳に胸に収めようとした時、ちょうどリハビリのヘルパーさんが家にやってきました。たまたま新しいヘルパーさんだったので、挨拶しようとした時、母がヘルパーさんに向かって、「息子です。」と、僕のことを紹介しました。突然の出来事に、一瞬何が起こったのかわからず、聞き間違いかな?と思ったのですが、母は続けて「ウチの息子です」と言いました。

昨夜話したことは忘れてしまっているのに、母の中で、なぜか僕の性別だけが変わっていたのです。そして、この日から今日に至るまで、母はずっと僕のことを息子だと思っています。

僕の「トランスジェンダー」や母の「高次脳機能障害」は、僕にとって紛れもない「障害」で、正直それは今でも拭いきれていない部分もあるのですが、でもこの時、母との強い繋がりを実感して、少しだけ救われた気がしました。「障害」とは何なのか。社会が作り出しているものなのか、それとも自分自身が作り出しているものなのか。その答えは人それぞれだと思いますが、「障害」を作り出しているのが人なのだとすれば、それを取り除けるのも人なのだと、僕はこの時、母に教えてもらった気がしました。

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